デエビゴの夢

昨日は寝れないわけではなかったがデエビゴという睡眠薬をなんとなく飲んで寝た。どうでも良いがデエビゴという名前は故郷の響きが感じられて好きだ。

デパスなどより自然な感じで心地よく寝入ることができる。個人差はあるのだろうが、あれ、枕元にアイコスあるけど俺寝る前に吸ったっけ?という寝る間際の物忘れみたいなのはなかった。それから夢をたくさん見た。

店頭にたくさん置いてあるブリキでできたアンティーク調の小さいミルクピッチャーとスプーン置を見ている夢。中世ヨーロッパあたりで描かれたような世界地図がペイントされていて自分の夢ながらおしゃれな商品でびっくりした。目覚めた後すぐネットで似たようなのが売ってないか調べたけどさすがに見つけられなかった。ああいうのがもし現実に売っていたら欲しい。

それから観光物産館みたいなところで観葉植物が売っている夢も見た。先程の夢の続きだったかもしれない。植物の蔓がお面の口の部分からモジャモジャと伸びている謎のグッズがあって、なんで観光物産館みたいな場所にこんな変なのが置いてあるんだろうと思ったのを覚えている。

見た夢をあまりにはっきり覚えているもんだからデエビゴについて調べたらレム睡眠が増える作用があるようでやはり夢は増えるらしい。夢が増えるなんてなんだか楽しげではあるが、その一方で知恵袋とかを見てみると悪夢を見たり金縛りにあう人もいるようだ。

なんだかまたブログを書くようになってから体の不調やら睡眠薬がどうとかメンヘラみたいな内容が多くなっている。もっと健康的なことも書きたいが、そもそもそんなにハツラツとした活発ライフを送っていなかった。不調が続いていると健康の時の状態がどんなだったかイマイチイメージできなくなる。それに最近気づいた。不調がない普通の時ってどんな体感だったっけ?みたいな。ニュートラルゾーンがどこにあるのか分からなくなるというんだろうか。吉本隆明もなんかの本で「老い」についてそんなことを書いていて、なんか少し理解が深まった。

自分とその周辺の諸々の変化というのはなだらかすぎて変わっていないように錯覚するけど、刻一刻と変わっていて本当はかなり流動的なんだなと改めて思った。当たり前だと思っているうちにいつの間にか変化していて、そのことに気付かないまま元のものを忘れてしまっていることって相当あるんだろうな。

とは言うものの変化の真っ只中にいながら自分がいる位置みたいなのに気づくというのは至難の業だとも思う。

うんこ系構文

昨日の夜、去年友達と二人で作っていたけど結局友達の都合で頓挫して完成には至らなかった同人誌について考えていた。真剣に準備してそれなりに苦しみながら作ってほぼ完成していたにも関わらずそれでも未練が全くないのはなんでなんだろうと考えていた。

真剣に考えた自分の文章を読んでもらいたくて書いたつもりでいたけれど、本当はそうではなくて人に見せる用に整えた文章を自分なりに書けた時点で実は満足していたことに気づく。誰かに読んでもらうことは本当は重要ではなくて、自分だけが分かっていれば良いことを文字を使って普遍的なものに段々と近づけていくみたいな作業が楽しかったからやっていただけなのだろう。

ただその分人に読んでもらいたかったから真実ではないことも色々書いた。今になってやっと分かったけど、読み返してみると本当は思っていなかったことが相当書かれている。

同人誌を作ってみるのは楽しかったけど、こうやってブログにあまり熟考せずに文章を書くのが今は楽しい。読めた文章ではないけど嘘はあまりつかずに書けていると思う。

もっとこの続きを掘り下げて文章に起こしてみたいけど言語力が追いついていなくて努力するだけ嫌になるし嘘っぽくなるからまたそのうち挑戦してみたい。とにかく今は書くのが楽しい。書くというのが手段ではなく目的としてある。ヒップホップとかだと新曲のことをnew shitとか言うけどまさに今の俺はうんこするのと同じようにただブログを書いている。

百姓物語

昨日は久しぶりに友達と喫茶店に行った。

前の日に夜体が痛くて寝れず睡眠薬を多めに飲んでしまい寝坊で2時間程遅れる。久しぶりに早起きしたことでサラリーマン時代の朝の辛さを思い出した。どうやっても起きれなかった。泣きながら二度寝をしていた日々。飽きられすぎて俺だけ出勤時間が自由になっていった末期。そんな中でも、普段寡黙で赤面症の社員さんが嫌味とかではなく「歳取ったら勝手に目覚めちゃうからいっぱい寝れるのは良いことだ!」と声をかけてくれた。社会人としてダメなことはダメなんだけどなんか感動したのを覚えている。それにしても結局未だに朝は苦手でどうしていいか分からない。

 

で、大幅に遅刻してしまったけれど友達と合流して前々から一緒に畑をやってみようということになっていた、それの話し合い。雑談しつつ久しぶりに建設的なことをやるので少し前のめりになる。土地は確保できているのでお互いどのくらいのスタンスで畑に通えるかとかを話して、今後具体的にどんな植物を植えたいかをお互い考えてくるということで解散。

こういうことがあるといつも風呂敷を広げすぎて疲れてしまうから今回はほどほどにしたいのだが何を育てよう。前のめりになりすぎず程々に考えていこう。

ここ最近体調不良とそれに伴うメンタル下降のおかげでそういう不自由な状態をいかに過ごすかということが考えられるようになってきた気がする。今までは本当に健康だったから手頃な気分転換で乗り切れていたけど今回はそうはいかない。現状を受け止めたり、どうやりくりしていこうか考えることもある程度楽しみながらできるようになってきた。そういうゆとりを持てるようになったことが少しずつではあるけど健康に戻りつつある兆しのように思える。

20220918

台風の影響で外は土砂降りだ。

昼、誕生日プレゼントに送られてきたビール飲み比べセットを受け取る。こんな天気の中、そしてエレベーターもないアパートに届けてくれて配達員の方には申し訳ない気持ち。まあそれはそれとしてプレゼントをもらえたことがうれしい。

昔好きだった人からもらったプレゼントだ。なんだかんだ関係が続いているのが下心とかなしにうれしい。

30を超えて人から改まった感謝の言葉だったり贈り物をもらうことが増えた。もっと前からいろんな人からいろんなのをもらっていたんだろうけどあまり深く考えてこなかったんだとも思う。

そういう言葉や贈り物をもらって、ここ最近やっと自分を肯定できるようになったと思う。人の人生を少しでも横切っていて関わってきたことがやっとわかったというか。意外と俺も人からあいつ元気にしてるかなとかちゃんと思われているんだろうなということが分かった。たまに一度も話したことがない名前も忘れてしまった同級生の顔をふと思い出すことがあるけれど、逆に俺もそういう人たちに思い出されていることもあるんだろう。

関わってきた人みんなにとって俺が良い人間であったかといわれるともちろんそうではないけれど少しでも、もしかしたら風景の一部程度かもしれないし忘れ去られているかもしれないけれどその人の人生に関われただけでなんだかそれだけで救われる。

もっと気楽に生きていくのも悪くないなと思った。

九月最高

youtubeのショート動画を延々と見て気付いたら夜になっていた。

夜風が気持ちよいのでドライブへ。

都心の方に行くのもいいし田舎の方に行くのも楽しいので近所のマックでドライブスルーしつつ悩む。

なんだか鈴虫の音が聞こえる田んぼ沿いを走りたくなってきたので昔仕事で行ったことがあった鴻巣を目指すことにした。その時はカエルの声しか聞こえなかったから春だったろうか。

バイパスに出てまっすぐな道を走っていると夜風が気持ち良すぎてたまらなくなった。

最近、風にあたったり芝の上で寝転びたい欲がすごくて良く想像する。そろそろ有給でもとってばあちゃん家に行こうと思った。

海にも行きたい。とにかく自然の中でゆっくりしたい。自然の中にいると本当に一人になった気がして星空なんかを見ていると吸い込まれる。いつの間にか自分がいることすらも忘れるようなあの感覚を味わいたくなる。

そういえば夕方電気をつけないで部屋にいて、ふと窓を見たらなんともない風景なんだけどなんだかすごい綺麗に見えた。別に晴れてもいなかったのだけれど紫がかっていて良い感じだった。

 

鴻巣はちょっと遠くてさすがにテンションが持ちそうになかったので結局川越に来ている。川越のセブンの駐車場で今ブログを書いている。よし帰ろう。

宇宙戦争

小学生の頃に買って積読したままの宇宙戦争をやっと読んだ。スピルバーグが撮った宇宙戦争がやってた時に本屋で買ったやつ。読書のこうやって随分昔に買ったまま興味が失せてしまったものを今になって消費し楽しめるところが感慨深い。

 

火星人の侵略がルポ調で書かれているから結構味気なさは感じるけど、だからこそリアリティがある。書かれたのは19世紀末で登場する乗り物は基本馬で自転車が流行の最先端だった時らしい。世界史的に見ればヨーロッパは産業革命が落ち着いてベルエポックやら帝国主義真っ只中の伸び伸びやってた時代。特にイギリスが舞台だからだろうか市民も豊かさを享受していて我々と変わらないような文化生活をしているし、そして火星人はタコ型で古臭い(タコ型宇宙人のルーツは宇宙戦争の挿絵にある。)が、火星人はロボットに乗るし、そこらへんの装備やら武器の背景や設定は結構細かくて、あまり古臭さは感じない。

 

人間は蹂躙されるのだが結局火星人たちは地球の病原菌に抗体を持っていなくて病気になって死んでしまい、おかげで人間は滅亡せずに済んだという元も子もないデウスエクスマキナな物語。

帝国主義やら行き過ぎた科学文明への風刺小説なのかも知れないけれど、人類皆平等!自然大事に!というようなことでもないと思った。

物語の中で火星人と人間の関係が人間と動物の関係に置き換えられる描写が何度かある。聖書だと人間は生き物の中で唯一神から息吹を吹き込まれた生き物であるから、キリスト教圏の人間が動物として扱われることには意味がある。

それから主人公は追い込まれる中で副牧師を殺したりもする。

神が不在の世界、かつての文明文明の代わりに瓦礫があるだけ。頼れるものは何もないのだけれど、それでも主人公は祈らずにはいられない。

人間が自然を他国を支配したとしても、そして例え火星人に支配されることになっても神はそれらの主従関係を超越したところで常に絶対的なものとして存在しているというお話なんだと思った。

 

 

小岩井のりんごジュース

体の調子は戻らないがメンタルは少しずつ回復してきたように思う。明日こそは病院行くぞ。

最近の暇つぶしといえばTVとゲーム、散歩がほとんどだったけど、やっとまた難しい本読んでみようかなとか絵を描いてみようかなと思えるようになってきた。

ただまだ本調子じゃないから今日は大人しくゲームでもやって寝ようと思う。生産的なことをやらないといけないという焦る気持ちともうまく折り合いをつけないといけないから素直にゲームとか睡眠、目の前にある楽しみに没頭してみよう。

結局何者にもなれないのだから目の前にある楽しみを噛み締めて生きるんだ。

さっきまでニンテンドーダイレクトyoutubeで見てた。ゼルダの新作が2023年5月に出るらしい。来年も楽しそうだぜ。